2016年08月16日

      
先月7/20の”雲のうえのしたで”主催によるトークイベント《「山福印刷」
の山福さんたち》
の模様が8/11の西日本新聞朝刊に掲載されました。
web掲載が見つからないのでここに文字で投稿させていただきます。
2016.8/11 西日本新聞

印刷屋として 絵草紙作家として
山福康政さんの生涯と仕事

西日本新聞 2016.8/11 朝刊

 記録作家上野英信さんや俳人穴井太さんらと深く交流し、「山福印刷」を営みながら自ら絵草紙作家として庶民の暮らしを記録した山福康政さん(1928~98)。その生涯や仕事を振り返るイベントや展示が、6〜7月にかけて北九州市内の3カ所で開かれた。7月20日、小倉北区の雑貨店緑々(あおあお)で行われたトークイベントには妻の緑さん、印刷業を継いだ長男康生さん、版画家として活躍する長女朱実さんらが参加し、印刷所での日々やゆかりの人との思い出を語り合った。

 山福さんは広島市に生まれ、旧若松市で育った。工場勤務時代に身に付けたガリ版の技術を基に印刷業を始め、穴井さんが創刊した句誌「天籟(てんらい)通信」や横山白虹(はっこう)主宰の句誌「自鳴鐘(じめいしょう)」のカレンダーなどの印刷を手がけた。絵心のある山福さんは、印刷代のみで装丁や挿絵、題字なども引き受け、凝った作りの俳句アンソロジーは「有頂天になって楽しく作ったけど、重版のたびに赤字」(緑さん)になるほど。だが76年、脳血栓で倒れて半身にまひが残り、多忙な生活に転機が訪れた。
 印刷所の仕事を妻や従業員に任せ、リハビリも兼ねて絵草紙を書き始めた。幼少期の記憶や印刷所の日常、穴井さんや上野さんとの出会い、若松のにぎわいなどを絵と文字で描き込み、自作の俳句も添える。絵草紙をまとめた初の単著「付録」(79年自費出版、82年に改訂版「ふろく」を刊行)は口コミで評判が広がり、五木寛之さんや井上ひさしさんも賛辞を贈った。86〜88年には本誌で「ふらふら絵草紙・ちょっとそこまで」を連載するなど、絵草紙に昭和の光景を刻みつけた。緑さんは「物書きではなくあくまで印刷屋だから『付録』。でも子どものころの夢が実現したんじゃない。毎日絵を描いても誰にも怒られない」と笑う。
 舞台女優を目指し上京後、イラストレーターとして活動してきた朱実さんは約10年前から木版画を始めた。「部屋中インキのにおい、爪は真っ黒。でも居心地がよくて、彫るのも刷るのもドキドキする。あぁ印刷屋なんだ!」と自らの表現を見いだした。今年3月には父と交流があった石牟礼道子さんの作品「水はみどろの宮」に木版画約50枚を描き下ろし、新装刊した。
 「ずっと父の仕事を見てきたから」と自らも細密画からポップなロゴマークまで職人的に手がけてきた康生さんだが、印刷設備の劣化や受注減もあり、印刷所を閉め、自分の表現に専念したいと考え始めた。7月に「この夏閉店」と新聞で報じられると、「今までやってもらったのに辞めるのは困る」と多くの仕事が寄せられた。「年末までは続けることになりそう」と苦笑した。
 鉄筆でひっかくガリ版から、オフセット、DTP、オンデマンド…印刷技術は格段に進化した。<この20年ばかり機械化に精を出したがメーカーに奉仕したようなもんだ><もしすごいのが出来れば紙屑屋さんでもなるつもりです>と山福さん自身も30年以上前につづっている。それでも、紙の質感、そこに刷られた色彩の妙味に引き込まれる瞬間は、他に代え難い体験だ。憧憬と敬意を込めて今、山福さんの仕事が顧みられているのかもしれない。(大矢和世)

(09:07)

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