2024年07月14日

      
居眠り中の母におやつを持って行くと、「ああ、今夢を見とって疲れた」と。どんな夢か尋ねると、「牡丹江からハルビンに逃げよったんよ」から始まって、満州引揚の話になった。この夏の時期、母は戦争での体験をよく思い出す。

「飲まず食わずで歩き続けて、途中で脱落して動けんくなった人たちもおって、どんどん人が減って、川を見下ろす丘に着いたときは20人くらいになっとってね、男は兵隊に取られとるけぇ女と子どもばかり、もう疲れてしまってね、ここでみんなで死のうっち誰かが言い出して。母は頷きながら、ちょっと水を飲みに行って来ると言って私と姉を連れてその集団から離れてね、川に向かいながら「死ぬ時はどうなったって死ぬんやけ、なんで今一緒に死なないけんのね、このバカどもが!」と。
川に沿って行けばきっと人が居る場所があるはずだと、川の水を飲みながらずっとずっと歩き続けたら駅があった。だけど屋根のない貨車みたいな車両に人がぎっしり満員で私たちは乗れんでね、諦めとったらロシア軍の空襲に遭った。電車がめちゃくちゃに銃撃されて、乗っていた殆どの人が死んでしもた。逃げ出して走る人を飛行機が追いかけてどんどん殺していく。…あんなことは絶対にしたらいけん。それで私たちが乗れることになって、たくさんの死体に躓きながら電車に向かって急いだ。死体を見ても何も感じなくなっとった。行けるとこまで行こうと電車が動き始めた時、3人のアメリカ兵が一緒に乗せてくれと頼んだけど、どの貨車も怖がって乗せてくれん。そしたら母が「ええよ、乗りなさい!」と手を引いた。それがよ、電車が動き始めてから運転士と結託しとった山賊が何度も来たんやけど、この車両はアメリカ兵が銃を構えとるけ襲われんかった、重宝したねえ。
それから、ハルビンまで行く間で電車が停車する度に母が米を炊いてね、おにぎり結んで辺りに配って回った。家から鍋と米を背負って逃げて来たんやね。母は強かったねえ。私は8歳だった。」

私は「そんな夢を見たら、そりゃ疲れたやろ。これからまた居眠りして続きを見らないけんのやけ、食欲がないとか言っとらんで食べないけんよ〜体力つけな、夢について行かれんよ!」と檄を飛ばしてテーブルの上におやつを置いた。ひととおり話し終わった母は「戦争は怖い、戦争なんか絶対にしたらいけん。」と繰り返し言い続けた。

(15:17)

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