2026年08月28日

西南学院大学国際文化学部の柿木伸之さんが展評をくださいました✨
企画段階から探り探りだった小原さんとのコラボがレーション、制作中は渦中にいすぎて更によくわからなくなってしまっていた全体像が、展評によって全体と細部のあちこちを認識、確認することができました。この展示を柿木さんの言葉により、改めてきちんと見せていただいた、という感覚です。心より御礼を申し上げますm(_ _)m

      小原佐和子 × 山福朱実『 どこかにある風景 』
『どこかにある風景』

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生の記憶を呼び起こす手仕事の交響
- 小原佐和子の写真と山福朱実の版画による
「どこかにある風景 北九州のあちこち」に寄せて -
柿木伸之

 田川市美術館で開催された展覧会「コールマイン未来構想II──うつし、うつり、たちあがるもの」(会期は2025年12月7日から2026年2月1日まで)の展示室の一つで、本橋成一の写真と再会した。そこには、福岡の筑豊や北海道の美唄などの炭鉱で働く人々とその家族の懸命な生きざまを追った写真集『炭鉱〈ヤマ〉』の一部が展示されていたが、出品作品からは、本橋が強い思いを抱きながら筑豊に通っていたことがひしひしと伝わってきた。版画家の山福朱実は、この『炭鉱〈ヤマ〉』の頃の本橋と若松で出会っている。
 山福はその後、本橋が東京の東中野にポレポレ坐を立ち上げるのに加わり、「ポレポレ坐」のロゴをはじめ、その広報媒体のデザインを手がけることになる。それから数年後、写真家の小原佐和子は、これも本橋が立ち上げたポレポレタイムス社で十年にわたり写真助手を務めた。2026年7月26日から8月16日までOperation Tableで開催された小原佐和子の写真と山福朱実の木版画による展覧会「どこかにある風景──北九州のあちこち」には、本橋成一の薫陶を受けた二人の作家のこの地での協働の展開が振幅豊かに表わされていた。
 「どこかにある風景」の展示に向けてまず、小原が小倉、八幡、門司、若松など北九州各地の戦跡をはじめ、日本の近代史が刻まれた場所を訪ね回り、その風景を写真に収めていった。すると山福は、写真を基に木版画を制作する。和紙にプリントされた小原の写真に山福が直接描画した作品も出品されていた。そのような一種の掛け合いとしての協働の成果が並ぶのを眺めると、さながら写真と版画の遁走曲(フーガ)が繰り広げられるのをを聴くようだった。そこにある両者の交響は、北九州の「どこか」に潜む未見の光景へ誘う。
 もちろん小原の写真と山福の版画の方向性は、正反対と言えるほど異なっている。先に小原の写真に目を向けるなら、それは防空壕の跡の残る民家の一隅など、ほとんど顧みられることのない場所を捉えながら、その空間を克明に浮かび上がらせる。オープニング・トークのなかでキュレーターの真武真喜子が指摘していたように、小原の写真は、独特の「線」によって貫かれた空間として、それぞれの場所の現在を浮き彫りにしていると言えよう。ただしその現在とは、歴史の堆積の一角に写真家の眼が留まった瞬間である。
 その一角には、人々の営為が幾重にも積み上がり、そのことが建物の造りや街並みを含めた独特の地形をなしている。そのことを捉えるモノクロームの画面は、静謐ですらある記録性を示す。そこに人影はほとんど見られない。小原は一つの場所の空間を、そこが見失われていく時の流れに抗して写真に刻む。現在を捉えたその像のなかに、忘れられた歴史の層が浮かび上がるのが興味深い。そして、この層には人々が働き、暮らした記憶が沈澱している。そのことへの繊細な眼差しも、小原の写真の特徴と思われる。
 そのような眼差しは、例えば、北九州市若松区北浜にある工場の煤けたパイプラインを浮かび上がらせるところに表われていよう。山福の版画は、こうした小原の写真に触発されながら、それとはある意味で反対に、空間に時間的な動きを加える。一つの場所を行き交った、人間を含む生きものたちの生命の記憶を呼び起こすことによって、その場所にありえたかもしれない風景を、独特の音楽として鳴り響かせるとも言えよう。山福の木版画には温かいリズムがあり、それは生きものたちの息遣いとして画面から響いてくる。
 小原が写真に捉えた若松の工場の光景を、山福は一匹の猫の目に映る風景に見立て、そこに烏だろうか、鳥の列を加える。鳥の羽根が動くと、パイプラインも蠕動するかのようだ。工場の通路に立つ人の手から伸びて咲いた花は、鳥の声に応えているようにも、あるいは猫に向けて打ち振られているようにも見える。そのようにさざめきを感じさせる山福の版画を眺めた後で工場の写真を見直すと、風景がより立体的に感じられた。その傍らでは、小原が撮影した若戸大橋の上に広がる空を、山福が描いた魚が悠々と泳いでいる。
 こうして異なった表現が一つの空間のなかで、さらには一つの画面のなかで呼応することによって、北九州に堆積してきた時間が攪拌され、この場所に凝縮された歴史に翻弄された生きものの記憶が呼び覚まされているようだった。小倉城内に残る「軍馬忠霊塔」をめぐる写真と版画の交響は、そのことを示す一例だろう。この塔のひっそりとした佇まいを捉えた小原の写真からは、馬が負わされた歴史の重みを感じる。同時に、戦禍や災害のなかで人間によって棄てられた馬たちの運命にも思いを馳せずにはいられない。
 このような「軍馬忠霊塔」の写真にもとづく山福の木版画において塔は、命の蘇りの舞台として描かれているように見える。一匹の猫が見上げるその舞台からは、翼を持った一対の馬に導かれながら、一頭の馬の魂が「忠霊塔」から脱出して天を駆けようとしている。その動きがリズムを含みながら画面から聞こえてくるのだ。ありえたかもしれない生命の姿を、その光景とともに奏でる木版画の音響は、もしかすると会場の一角に並べられた、山福が絵を加えたタンバリンによって暗示されていたのかもしれない。
 小原との共同作業は、北九州の地で暮らしてきた山福自身の記憶を呼び起こすところがあったにちがいない。それが最も生き生きと表われていたのが、釣り人の姿を海景に浮かび上がらせた写真から生まれた木版画と思われる。その画面では、かつて海辺の工場が煤煙を上げていた様子と、若松の海に棲んでいた、あるいはそこに還ってきたトビエイやイルカが跳ね回る様子とが共鳴している。そして、幾重にも時が折り重なった海の光景が見えているのは、釣り人の傍らに座っている人魚だけではないだろうか。
 その一方で、小原の写真は釣り人が腰掛けている場所が異様な形をしていることを伝えている。それはかつての駆逐艦の船体だった。その上で釣り糸を垂れる姿からは、戦争の近代が積み重なった場所の可能性も感じられる。それが潜む光景を捉えられるのは、旅人だけなのかもしれない。北九州に暮らす人と、そこを訪れた旅人との協働は、この地に潜んでいる風景を浮かび上がらせ、そこに沈澱した記憶を未来へ向けて呼び起こしていく。その風景は「どこか」にある。「どこかにある風景」の展示は、その発見へ観る者を誘う。
 山福と小原が2025年の末に逝去した本橋成一から受け継いだのは、歴史に翻弄された命あるものたちへの細やかな眼差しと、その生きざまを記して伝えるドキュメントの精神ではないだろうか。それとともに手仕事の精神も継承しているにちがいない。山福は本橋の構想を手で形にし、小原は彼の写真の現像を手伝った。「どこかにある風景」で繰り広げられたのは、版画と写真における綿密な手仕事の交響でもある。それが和紙を用いた作品に凝縮されたことは、小倉の塔から蘇った馬によって天に伝えられたのではないだろうか。
(美学、哲学/西南学院大学国際文化学部)


(14:04)

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